アメリカスキンケア学校入学後、エステ勉強から弟子になるところを見つけるまで
今日は。パチコスキー真由美です。
私は現在アメリカ東海岸、メリーランド州でプライベートエステサロンを経営しています。
前回の記事、アメリカでスキンケア学校に入学するまでのいきさつを記事にしました。
この記事はその続きです。
どんな風に勉強をしたのか。
勉強しながらパートで美容師、そして卒業後に備えて在学中に弟子入り先を見つけるまでを記事にしています。
アメリカで2回目の専門学校に入学
メリーランド州に引っ越してきて最初美容学校に通いました。
そしてスキンケア学校は30歳を過ぎて2度目の専門学校でした。
なんとラッキーにもアメリカで伝説と呼ばれたキャロル・ウォルダマン先生のクラスに入ることができ。
キャロル先生の面白いクラスの授業のとりこになりました。
アメリカ美容学校・エステ学校ともに英語ができるのは前提で入学すること
外国人でクラスに参加しているのは私だけ。
特に英語の普通の授業でもハンデがあるでしょうが、解剖学なども簡単にですが学ばねばいけません。
こういう医学に関する単語を調べるのにそのころはまだネットもなく、辞書を使う時代。
それも普通の英語の辞書には医学的な単語はほとんど載っておらず、普通医学用の辞書を買う必要があります。
帰国はする暇もなかったので医学用の辞書は持たず勉強しなければなりませんでした。
高校生の時の保健体育の授業を思い出しながらこれはこういう意味だろうな。
そんな感じで勉強していました。
この時、日本のしっかりとしたカリキュラムのできた国で育ってきたことに感謝しました。
しかし、英語で日常生活は苦労しないくらいの英語力は前提であることが大切です。
授業はたとえ辞書を使えたりしても、試験や免許試験などでは辞書は使えないいのです。
辞書には解答が乗っていることがあるので使用禁止のことがほとんどです。
私は特に外国人であるから何とかついていくのではなく、クラスでトップ3には入ると決めて頑張ることにしたのです。
勿論時間はアメリカ人の2倍くらい勉強しなくてはいけないかもしれません。
でも、外国人だからという事で自分の成績が良くないというのは絶対に我慢がならなかったのです。
キャロル先生のクラスだったからこそ頑張れた
キャロル先生のクラスがとても面白かったので勉強もっと知りたいという前のめりな生徒でした。
休み時間も先生の部屋に行って質問したりしていました。
そのころに今日本で言われているスピリチュアル系の本などを沢山紹介されて読んだりもしました。
あるとき、AS A MAN THINKETH という本の話をされた時。
なんとその1週間か数日前に邦訳の本を友人が送ってくれていてうシンクロが起こったりしてニヤニヤしたり。
自分が進むべき道を進んでいるときはこうやって偶然という感じで全てが用意されるんだなと思ったりしたものです。
教えるという事の難しさをこう表現されたキャロル先生
先生があるときこんなことも言われました。
教えて、芽が出る生徒というのは一握りしかいなくて、石の上に植物の種を植えているようなもの。
本当にいろいろ工夫して、親身になって愛情をかけても自分を信じられなくてあきらめてしまったり。
だから、教えるという仕事は時には寂しいものだ。
そんな感じのことでした。
このことを後でこの母校で教鞭をとるチャンスをいただけたときに思い返して色々工夫したり。
生徒さんのことを考えて悩んだりしているときに思い出します。
キャロル先生が使う学校の化粧品のレベルにびっくり仰天!
私が学校に入学してこの学校が単に売り上げばかりを考えているのではないと感心した部分があります。
それは私が現在使っている DANNE M KING氏のプロダクトです。
この人は天才です!
彼の今までの文献などを読むと、彼は最低20年先、ともすれば30年先進んでいます。
そこら辺のコスメティックケミストといわれる化粧品を調合する人や自分のプロダクトを開発したというお医者さんたちは20~30年遅れているのです。
ちょっと話題がずれますが、このDANNE は日本には未入荷のプロダクト。
資格を取らないと使えない、DANNEさんがきちんとした知識を持ったセラピストさんにだけ使ってほしいという哲学を持っているもの。
このDANNE氏とキャロル先生は友達なのですが、こんないきさつがあって友達になったそうです。
私が急遽いけなくなったDANNE氏のNYでのセミナーの記事でそのいきさつを書いています。
情熱をもってエステを学びたい人に:私はこんな人から学んでいます。
学校は自分で考え、応用ができる生徒を送り出すのがポリシー
学校がこんなすごいプロダクトを使って免許をまだとっていない生徒さんに使用させるというのがまずびっくりでした。
というのが、美容学校などは安ければいい。
使い方さえわかればいい。
という感じでプロダクトに関しては安物を使っていて、なるだけ出費を抑えるようにしていたのを知っていたからです。
安いものを使って利益を上げた方が確かに賢くはあるのでしょう。
でも、VON LEE INTERNATIONAL SCHOOL OF AESTHETIC, INCはそんな目先の事だけ考えている学校ではありませんでした。
その部分も、美容師として働いていたから少し美容業界のことがわかっていたから見抜けたのです。
素晴らしい学校だ!という感動がまた生まれました。
他の学校のように、免許の試験に受けるだけの勉強をさせるのではない。
卒業した時には新人でも1年程はもうプロとして働いているのではと思われるくらいのことを身に付けられるような学校です。
技術で勝負する業界は、学校選びであなたの将来が決まるといっても過言ではないと言えます。
私はたまたま名門校にあたったので本当にこれもラッキーでした。
今考えると本当に人とのご縁とはたんなる偶然では片づけられないなと思います。
在学中に新たな挑戦・弟子入り先をみつける
私は実技の方は美容業界に入っているのもあって何となくわかっていたところがあり。
理論の方も何となく上位3位までいつも入っていました。
ここで
DANNEのプロダクトにほれ込んで、このプロダクトを将来も使いたい。
でも資格をもってサロンを経営している人について学校以上の施術をしていることを今学んでおきたい。
将来のために、今学んでおいて卒業後もスムーズにお客様をリピーターに出来るようにしたい。
これがもう一つ在学中にやっておきたいことになりました。
ある日キャロル先生の部屋にお邪魔して、
「先生。DANNEを卒業後に使いたいので今プロの人がどのような施術をしているのか勉強したいんです。
美容師の免許ももっていて仕事をするのにも問題はないです。
お金はいらないので勉強の合間に手伝うことができる人を知りませんか?」
こんな感じのことを尋ねました。
そうすると
「真由美、ちょうどよかったわ。ちょうどそんな人を探している人がいます。」
といって連絡を取ってくださり、面接に行くことになりました。
弟子になる
ヨーロッパ出身でヨーロッパでもすでにプロとしてエステをしていた方。
アメリカでアメリカの免許が必要なのでVON LEEに入学し直して免許を取られたかたでした。
面接に行くと、履歴書などは端において目も通さず。
「あなたはどんなエステをしたいんですか?」という事を聞かれました。
自分のエステに対する哲学です。
それを話すと、「私のエステに似ていますね。」といって弟子入りが決まったのです。
このころは家庭・育児・パートの仕事・パートで学生・その合間に弟子としてアシスタント。
人生の中でも頑張った方に入る時期でした。
このころの私はまだ今のようにきちんとしたお客様と対等という態度も取れず、へこへこするのが接客だと思っていたころです。
航空会社時代からやってきた接客が世界どこでも通用するわけではないのだという事がわかり始めたころでもあります。
次回の記事では学校卒業するまで、そして弟子入り先にそのまま務めることになるところ。
何度も泣きたいような自分の未熟さを痛感して勉強に勉強、練習を重ねた時期。
その辺を書いていきたいと思います。
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