アメリカから見た日本といわれて・・・経験からなら話せます。
今日は。パチコスキー真由美です。
私が現在アメリカに住んでいて、海外生活も日本で育ったより長くなっている状況から。
よく「世界から見た日本」や「アメリカから見た日本」または「アメリカから見た日本人」という事で話をしてもらえないか、また記事を書いてもらえないか?と提案されることがあります。
今日はそのことについて私の正直な意見を今までの経験から記事にしています。
アメリカに住んでいるからといってアメリカ人のすべての人の意見の代表ではないことをわかったうえで読んでください。
アメリカ人や外国人の意見に一喜一憂しないでほしい
まずわかっていただきたいのは、アメリカ人というのは本当に生き方の選択にも幅があり、いろんなタイプの人がいます。
だから、アメリカ人一人に日本のことについて何かを言われたからといって、それがアメリカ人すべての人が持つ印象ではないのです。
人種のるつぼ。同じ州に住んでいても人の印象が全く違うことも多いのです。
まず、日本は「みんなすべて一緒」という考えが前提なので、ちょっとアメリカ人のタレントさんが意見を言うと一喜一憂して「日本人はこう思われているんだ!」
と騒ぐので、ちょっと自意識過剰かな(笑)と思うことがあります。
残念ながら、日本人って個人個人で魅力的に映るまで日本人以外の人と交流する人がいないのが現実なのではと思うのです。
日本人の印象とは?
アメリカ人はアメリカで日本人と交流することがあるようでないのでみんな同じに見えるとか言われてしまうのですね。
日本のサラリーマンが黒、またはグレーの同じスーツで眼鏡をかけている=JAPENESE BUSINESS MAN.
頭がよく、ビジネスもできる。こんなイメージで終わっています。
国としては先進国として知られていて、SONY, TOYOTAなど製品化されたもので日本製という事に対する信頼は揺らぎないものがあったり。
すし、てんぷらなど食べ物での日本食はアメリカの田舎の人でも知っているかもしれません。
しかし、人間としての日本人で誰を思い浮かべるか、または尊敬する人は?と言われたら。
アメリカ人のほとんどは誰も名前を挙げられないのが普通ではないかと思うのはアメリカ全体的な印象であっているのでは?という感触はあります。
日本人とかかわらないから、知らないというのが一番ではないかな?と思うのです。
日本の島国根性で外国でも壁を作ってしまう日本人
日本人であって外国に行くとまず日本人と知り合おうとすることが多いです。
それが悪いことだとは思わないのですが、とても変な環境を作り出していることがたくさんあるのです。
縦社会をもってきて、同じ日本人の中で差別をする環境を作る
私にはアメリカ内でも日本人として心の友と呼べる人たちが何人かいます。
その人たちは現地で根付いていて、日本人社会だけに頼っていない人です。
肩の力を抜いて、現地でもハッピーに生活してこころが満たされているのでバランスが取れています。
言わないといけない意見やアドバイスもきちんと伝えてくれます。
日本人の友達もいながら私は正直に言って、外国での日本人グループに入っていきたいと思わないほうです。
同じ日本人というのでグループを作っていても、切磋琢磨するより、そのグループ内で上下関係を作り、意地悪をしたりする幼稚な人がたくさんいるのを知っているからです。
私はその人の肩書や持っているものなどで友達になろうと思うことは20代のころに卒業しました。
話をして、その人が素の自分であるか。そしてその素の部分と自分の相性が合うかどうか。
それが自分の友人を選ぶ基準です。だから、国籍も人種も問いません。
日本人=すべての日本人と友達・または親友になれるという方程式は成り立たず、無理がありますよね?
それが悲しい、中学、高校生のようないじめなど幼稚な環境を外国で作り出してしまうのです。
その中に入っていきたいと思わない。
またその可能性があるグループに時間を割いて入ろうと思わないのです。
日本人は外国に出ても自分たちで壁を作って日本人だけと交流する人が多いので現地の外国人に人隣りをわかってもらえるまで交流をしないのです。
アンチ・ソーシャルだと勘違いされてしまう日本人
アメリカに住んでいると、人種のるつぼなので、違う身なり、考え方でも話を聞いて受け止める。
違うという事で議論はしても人格否定にはつながりません。
日本人は違うとたたかれるので、いったん外国で日本人グループでも少し違うとたたかれて自由にできないことがいろいろあるようです。
時には人格否定までされてしまうので見えない鎖で自分を自由にできないことが多いようです。
私は自分の意志に反すると脅したり、いじめなどで相手をコントロールしようとする人は嫌いです。
外国でも日本人はグループになると、社交の場でも日本人とだけ会話し、たまっている傾向がある
これは、特にアメリカでは「自分たちの輪にはいってくるな!」というアピールに映ります。
本当は、英語を話すのが恥ずかしい。
だから目も合わせず、日本人と話をしておこうとやっている行為なのでしょう。
それがアメリカ人には「社交するのを拒む人たち」としか映らないのです。
ですから、日本人とイベントやパーティーで一緒になったことがある人たちが
「日本人はアンチ・ソーシャル(社交するのを拒む人たち)だ」という印象があるのは何度も聞いてきました。
これは経験から言っていることです。
残念ながら私もそう思われても仕方がないなと思うことが多いですね。
あなたが英語が母国語でないことくらい教養のある人だったら知っている
あなたが日本語が話せない外国人を馬鹿にしたりしないのと同じでアメリカ人もあなたが流暢に英語を話せないという事を馬鹿にはしません。
馬鹿にする人は外国語を学んだことがなく、それが結構大変な勉強だと知らない人だからできることです。
一生懸命話そうとする人をアメリカ人は応援してくれることがほとんどです。
あまりにも発音が聞き取れないとか、文法も滅茶苦茶でチンプンカンプンという英語を話す日本人はそういないのではないかと思います。
そこまで英語に対して変な期待はされていません(笑)。
どんどん自分の殻を破って交流を始めてください。
日本をどう思うか?という発想をやめよう!
島国であるからよそからどう思われているか知りたい。
そういうことで日本は世界でどう思われているのか?日本人ってどう思われているのか?
という事を知りたいという欲求があるのだろうと思うのはわからないではありません。
でも、鎖国されているわけでもないですし、外国に行き来も自由にできる。
外国人の友人を作ろうと思えば日本内で作るのも十分可能ではないかと思うのです。
日本人は自意識過剰になっている。アメリカはそれほど注目してないよ。
日本をどう思うか?というのは私のことをどう思いますか?
と自分軸のない人が質問するのに似ている感じがするのです。
興味があるのはあるでしょうが。。。。
例えば、私がこのブログを書いていて、読者さんもいてくださる。
それだけで日本人の誰にでも私のことをどう思いますか?という質問をしても。
「え?あなたって誰?」になると思うのです(笑)。
日本人だからって私のことをすべての日本人が注目していて知っていると思うのは自意識過剰ですよね(笑)?
それに似たような感覚を覚えるのです。
自分軸が日本国としてもわかりにくい。
物としては知っているものはたくさんあっても、人間としてどういう傾向がある民族であるかという分析ができるだけの日本人と外国で交流している人がそんなにいない。
だから、ぼーっとしたイメージしか持てないという結果になっているのではないかと思います。
だったらどうしたらいいの?
日本人、または日本という国をもっとわかってほしいというのであれば、あなたがまず行動を起こして交流を始めないと何も始まらないという事です。
量をこなして分析してある程度傾向として出る印象までにはまだまだ日本人の努力が足りません。
自分から自分をアピールできないのでは、あなたのことを知りたいという思いも湧いてこないのです。
私はどこに行ってもだいたい外国人の中で”最初に出会って知り合いになった日本人”として認識されることがほとんどなんです。。。。。
日本人ってホント外国の現地に根付いて生きているという人が少ないのです。
もうそろそろ日本人=日本人だけと友達になる。またはビジネスをするという発想をやめませんか?