アメリカで仲間になった友人タンヤ
こんにちは。パチコスキー真由美です。
今は忙しくなったのでやっていないのですが、1年ほどウェルネストークと称して私のオフィスの待合室を教室に変えて定期的にセミナーをしていました。
こちらメリーランド州に来て起業し、誰も知らない0からのスタート。
自分からどんどん連絡を取って、興味にある人にあいにいったりしていました。
タンヤもそのうちの一人です。
これは私のオフィスでレイキのセミナーをしてもらったときの写真です。
アメリカって、いろんな国から、いろんな事情で移民してくるのです。
タンヤはこういう事情でアメリカにやってきました。
これがそのレイキクラスでの写真。真ん中の白いカーデのトップを着ているのがタンヤです。
タンヤは、セルビアで医者をしていたんです。中国で針なども学び、今アメリカで定着しているウェルネスセンターを経営して自然療法などを取り入れた医療を提供していたのだそうです。
でも、戦争が起こり、環境がどんどん悪化。自国の通貨の価値がどんどん下がり、ドイツマルクで最後はお金のやり取りをしていたのだとか。
シングルマザーで、2人のお子さんと、お母さんと4人で暮らして、彼女が家計を支えていました。
” 真由美。爆弾が落ちて、地面が揺れていても、毎日食料を調達にいったりしないといけないのよ。”
ガソリンスタンドにはガソリンはもうなく、皆闇市で缶に入れた燃料を買うしかなかったとか。
どんどん状況は悪くなり、それでも祖国にいようと頑張っていたのですが、状況は厳しくなるばかり。
最後はアメリカ大使館のセキュリティーガードの仕事をしていました。
アメリカへ、戦争難民として受け入れられる。。。。。
そうして、毎日仕事で大使館に行く前に、自宅の洗面所で毎朝自分の顔を見て、” 今日だけ、今日一日を頑張る。”こうやって毎日自分を励まして家族の為に勤務。
ある日、大使館の人たちが、アメリカへ戻ることになりそうなときに、” この人たちは、いい人達だ。何とかできないか? ”
とアメリカ政府に申し出て、アメリカ大使館に勤めているということで、戦争難民としてアメリカへ行けるように手続きをしてくれることになりました。
でもそれは、働いている彼女だけにおりるもの。
自分のお母さんとまだ小さい娘さんたち2人はおいていかなければいけないということでした。
家族会議
その頃のタンヤの娘さん2人はどちらもまだ年が10歳に身満たない、小さい子達であったそうです。
アメリカへ行けるチャンスがきそうというので家族会議を開いて話したのだそうです。
” まず、私がひとりでアメリカに渡る。そして職を見つけてあなたたちを呼べるようにするからね。”
”でも、それには暫く時間がかかるの。私がいなくなるけど、大丈夫? ”と。
小さい娘さんたちはこう返事をしたそうです。
”お母さん。行くべきです。お母さんがいなくても大丈夫。ここで待ってます。”
小さい心でも、状況が分かっているんですね。家族の将来の為に、寂しいのも我慢。
本当にまたいつ会えるのかわからない。。。。。。
そんななかでタンヤはアメリカへ旅立ちました。
戦争難民キャンプで通訳等を担当。
シカゴの難民キャンプに着いて、そこで通訳や、スキルの判断など、難民でありながら難民を助ける側の仕事を始めたそうです。
そこで今のだんな様と出会いました。彼はメリーランド州に住んでいて、何百キロという道をほとんど毎週末運転して彼女に会いにきてくれたのだとか。
そしてメリーランド州に引っ越してきて、シカゴで通ったマッサージ学校の技術で独立。
今は体を壊していたのでレイキなどの施術と地域大学で教鞭をとっています。
娘さんたちももちろんアメリカに呼べて、大学にもかよって成人しています。よかった!
こんな凄い経験をしてきたので、本当に肝っ玉が据わっていて、そうやすやすとぐらつきません。
尊敬する友人の一人です。心もとっても温かい!!!
だからアメリカは面白い!
こんな風にアメリカは、世界中からいろんな事情で困っている人に手を差し伸べてくれます。
ここメリーランドで出会った友人達は、とくにみな魂でつながっているというか、同志という感じの友人達です。
同じように起業しながらも、いろんな想定していなかったことが起きたり。
いろんなことを励ましあいながら ” 頑張ろうね! ” という仲間意識が生まれます。
ここアメリカで私にでもできるのですから、あなたも自国、日本で切磋琢磨できる友人が見つけられるはずです。
こういう仲間を是非作って下さい。人生が楽しくなりますよ!
まとめ
アメリカって千差万別。いろんな人が世界中からやってきます。
類は友を呼ぶ。自分軸を持って、こういう人と友達になりたい!と思う人とつながれます。
起業家の道は孤独になりがち。切磋琢磨する仲間をつくれると心強いですね。