Fonthill castleとTile works museum, Doylestown, PAの旅
アメリカニュージャージー州Trentonにも近い、ペンシルバニア州バックスカウンティ―にHenry Mercer(ヘンリーマーサー)という考古学者が世界を旅した経験から作った自分の城、Fonthill城(フォンフィル城)とその隣にあるTile Works Museum (タイル博物館・現在でもタイル作りをしています)を訪ねてきました。
ニュージャージー州Trentonからも近いですし、小旅行として訪ねてみる価値があるところです。ペンシルバニア州、デラウェア州、メリーランド州からアクセスも良く、小旅行に良い場所だと思います。一日ツアーで日帰りできる人達も沢山いるはずです。
Fonthill(フォンフィル)城
まず、グーグルマップでのリンクはこちらこちらです。
この城はヘンリー・マーサーというアメリカ人のお金持ち考古学者が世界を旅して得た経験と知識から建てた城。
私は時間がなく、残念ながらマーサー博物館の方にはお邪魔できませんでしたが、博物館からのヘンリー・マーサーが作った城についてなどHPサイトでこんな風に紹介されています。
Fonthill Castle
Built between 1908-1912, Fonthill Castle was the home of Henry Chapman Mercer (1856-1930). Archaeologist, anthropologist, ceramicist, scholar and antiquarian, Mercer built Fonthill Castle both as his home and as a showplace for his collection of tiles and prints. The first of three Mercer buildings in Doylestown, Fonthill Castle served as a showplace for Mercer’s famed Moravian tiles that were produced during the American Arts & Crafts Movement. Designed by Mercer, the building is an eclectic mix of Medieval, Gothic, and Byzantine architectural styles, and is significant as an early example of poured reinforced concrete.
Upon his death in 1930, Mercer left his concrete “Castle for the New World” in trust as a museum of decorative tiles and prints. He gave life rights to Fonthill Castle to his housekeeper and her husband, Laura and Frank Swain. In accordance with Mercer’s Will, Mrs. Swain resided in the house and conducted occasional tours until her death in 1975.
Upon her death, the Trustees of the Mercer Fonthill Museum determined to operate Fonthill Castle as a historic house museum and contracted with the Bucks County Historical Society to provide professional care and management. In 1990, the Bucks County Orphans court appointed the Trustees of the Bucks County Historical Society as the permanent Trustees of the Mercer Fonthill Museum thus solidifying the commitment to professionalism at the site. Fonthill Museum remains a separate legal entity from the Historical Society.
From 1976 to the present, Fonthill Castle has evolved into a unique professional museum that provides a full range of museum programs related to Mercer and his collections while maintaining a strong commitment to the preservation and conservation of the building and its collections. Fonthill Castle is designated a National Historic Landmark and the site is accredited by the American Alliance of Museums. Today, Fonthill attracts over 30,000 visitors annually from every state and more than 35 foreign countries. The site has been featured in numerous print and electronic media including the Arts & Entertainment Network’s popular “America’s Castles” series. Fonthill Castle is one of the original associate sites of the National Trust for Historic Preservation’s Historic Artists’ Homes and Studios program. In 2012 the Preservation Alliance of Greater Philadelphia recognized the 100th anniversary of Fonthill with a historic preservation award for stewardship presented to the Bucks County Historical Society.
A special anniversary edition of the newsletter was produced in 2012 (Vol. 26 No. 2). The issue includes information on Fonthill Castle’s construction and workers.Download the PDF here.
Mercer Museum &Fonthill castle websiteMercer Museum &Fonthill castle website
日本語に訳しますと。
フォンヒル城
1908年から1912年にかけて建てられたフォンヒル城は、ヘンリー・チャップマン・マーサー(1856-1930年)の住居でした。考古学者、人類学者、陶芸家、学者、古物収集家であったマーサーは、フォンヒル城を自身の住居として、またタイルや版画のコレクションを展示する場として建設しました。ドイルズタウンにあるマーサーの建築物のうち最初のもので、フォンヒル城はアメリカのアーツ・アンド・クラフツ運動の中で生産されたマーサーの有名なモラヴィアンタイルを展示する場としても機能しました。マーサーが設計したこの建物は、中世、ゴシック、ビザンチン様式を融合したエキセントリックなデザインであり、初期の強化コンクリート建築の例としても重要です。1930年にマーサーが亡くなった際、彼はこのコンクリートの「新世界の城」を装飾タイルと版画の博物館として信託しました。そして、マーサーは家政婦のローラ・スウェインとその夫フランク・スウェインにフォンヒル城の終生使用権を与えました。マーサーの遺言に従い、ローラ・スウェインは1975年に亡くなるまでこの家に住み、時折見学ツアーを行っていました。
彼女の死後、マーサー・フォンヒル博物館の信託受託者はフォンヒル城を歴史的な家屋博物館として運営することを決定し、バックス郡歴史協会と契約して専門的な管理を提供しました。1990年、バックス郡孤児裁判所はマーサー・フォンヒル博物館の信託受託者としてバックス郡歴史協会の受託者を正式に任命し、サイトにおける専門性への取り組みを固めました。フォンヒル博物館は歴史協会とは別の法的存在として存在しています。
1976年から現在まで、フォンヒル城は独自の専門的な博物館へと進化し、マーサーとそのコレクションに関連する博物館プログラムを提供するとともに、建物およびそのコレクションの保存と保護に強いコミットメントを持ち続けています。フォンヒル城は国定歴史建造物に指定されており、アメリカ博物館協会から認定を受けています。現在、フォンヒルは全米50州および35カ国以上から年間30,000人以上の訪問者を引き寄せています。この場所は「アメリカの城」シリーズなど、多くの印刷および電子メディアで取り上げられました。フォンヒル城は、ナショナル・トラスト・フォー・ヒストリック・プレザベーションの「歴史的芸術家の家とスタジオ」プログラムの最初の提携サイトの1つです。2012年、フィラデルフィア・プレザベーション・アライアンスは、バックス郡歴史協会に対してフォンヒルの100周年を記念して歴史保存の表彰を授与しました。
2012年には特別な記念号のニュースレターが発行されました(Vol. 26 No. 2)。この号には、フォンヒル城の建設と工事についての情報が含まれています。PDFをこちらからダウンロードしてください。
Fonthill casleガイド付きがお勧め
まず、フォンフィル城に行きましたが、ガイドをお勧めします。城の中は色んな場所があり、説明してくれる人がいてより理解が深まります。HPサイトでガイドは予約できます。
ガイドさん達は城の中の家政婦の人が以前住んでいた寮的なところに現在でも住んでいるそうです。幾つか城の中の写真を紹介しますね。
城の中の天井もかなり凝っています。沢山の立体的、タイルにも使うような情景が使われ、物語を語っていたり、意味があります。
わかる人にはわかるという感じで特に知的な人達はその意味の謎解きで時間を忘れ楽しめたのでしょうね。
色んな部屋があり、この下は食卓を囲むダイニングルーム。この城を作った際、ゲストブック(宿泊した人たちが付ける記録)には著名な人達もおり、皆さんこの城を訪れ、体験してみることが流行ったようです。
柱にもタイルで装飾してあります。
壁もタイルで沢山装飾
この上の写真は冬の寒さを考慮し、ロシア式暖房装置もタイルで装飾してありました。
マイヒーローアカデミーのプルスウルトラの意味が分かった暖炉
この上の写真はタイルワークスに在ったレプリカですが、マーサーの城にはこの暖炉があり、暖炉の上にまた貼り付けてあるキーワードがありました。
ラテン語のNe Plus Ultra(再果て地点)という言葉があり、その意味はコロンブスがアメリカ大陸発見まで信じられていたこの地点が世界の再果て。この先には何も存在しないと信じられていた時に使われていた言葉。
ヘンリーマーサーはそのNeをとり、PLUS ULTRAとタイルで装飾していました。プルスウルトラ。
最果て地点などない。すなわち限界や最高到達点などないという意味。
こんなところからアニメオタク化している私のびっくり!に繋がるとは。
娘の指摘で分かったのですが、日本のアニメって知的なんですね。
何も知らない人は何も気が付かない。わかる人だけが真の言いたい意味が分かる。
プルスウルトラ、アニメでは限界、最高到達点はないという意味で使われているのでしょう。
限界を超えろ!との自分への励ましですね。
飼い犬Rollo(ロロ)が付けた足跡
ヘンリー・マーサーは動物も大切にし、何頭か犬を飼っていました。この城を作っているときはロロ君がお供し、ある時作っていた階段に足跡をつけてしまったのです。
作業者たちは青ざめ、どうしようかと悩んだらしいのですが、アーティストでもあるヘンリーはその足跡は素晴らしいからそのままにしてくれと言い、皆がほっとしたという話があります。
これはロロ君の階段となり、ロロ君の写真も置いてあります。
自然保護、動物愛もあった人でしたので、城を作る時に働いてくれていた馬にも賃金を日当で支払い、そのお金で馬はリンゴや穀物(特に仕事をすると馬は穀物も必要とします)を買い、食べさせてもらえたのだそうです。
無駄をせず、リサイクルもやり、古いドアなどを壁に使ったり工夫されていました。
書斎は朝、昼、夕方の机3つが用意されていました
この写真は夕方に使う机です。まだ電気が発達していなかったため、日光を頼りにし、日が差すところに机がありました。
朝、昼、午後夕方まで3つの場所にそれぞれ机が置いてありました。この机は夕方のものです。TVもないですし、主に何かを読む、手紙や何かを書くということで勉強、色んなことを学び、研究していたのですね。
ヨーロッパにあるような大きな城ではないですが、とても刺激になりました。
TILE WORKS MUSEUMタイルワークス博物館
次は歩いて行ける範囲にある、ヘンリーマーサーがタイルビジネスを始めた工場、タイルワークスに行き、これもガイドさんを頼んで紹介してもらいました。
ヘンリーマーサーはまず漆器を作ろうと試みましたが、それはいまいち。それで芸術的なタイルを販売することに決定、タイルを作り始めました。
このタイルで立体的なタイル(絵が浮かぶような、ウェッジウッドが作るような感じタイルを発明したり、特許権も持つタイルなどを生み出し、それが世界中から注文を貰うビジネスへと発展。
自身が工場でタイル作りをすることはなかったそうですが、タイルの模型、色んな方などはヘンリーマーサーが作り、そこから工場でそれをどのように再現し、タイルにするのか等を働く人達が学び、作成していました。
ヘンリーマーサーは手作り、職人技術を保つことに重きを置いていたので、工場の機械化などはあまりせず、職人を育てることを大切と考えていたそうです。
現在でもタイル作りが行われています。
ハロウィンが近づいていたので一階の暖炉等こんな風にアレンジしてありました。
当時の様子がわかりやすく、とても刺激を受けました。
アメリカ独立戦争の勝機のきっかけワシントンクロッシングへ
私たちは近くのNEW HOPEという街に泊まりましたが、DOYLESTOWNに泊まるだけで良いのでは?と思います。
そして帰りにはアメリカ独立戦争で勝機のきっかけとなったワシントン川の有名なワシントンクロッシングへも寄り。
小さい博物館でドキュメンタリー家がを観たりして帰途に就きました。
ワシントンクロッシングとは
アメリカ独立戦争で一般の農民が主なアメリカ軍はイギリスからの独立をかけ、その当時世界でトップクラスのイギリス海兵隊、またイギリスに雇われたプロのドイツからの戦士たちと戦うことになりました。
上の写真はジョージワシントンが率いる部隊を表しています。
勝機はないとされ、負けを続けながらも諦めないジョージワシントン率いる隊はクリスマスの夜中に凍ったデラウェア川を渡り、奇襲攻撃をかけ、圧勝します。
この下の写真がデラウェア川です。
12月で志願した兵隊たちの契約も切れるはずでしたが、アメリカ軍は約束した支払いも出来る余裕がないほど予算も使い果たし、ジョージワシントンはこのままでは兵隊たちにも何もしてあげられない。
ここで賭け、勝利しなければと作戦を練ります。
それがクリスマスの夜にデラウェア川を渡り、奇襲攻撃をすることでした。
クリスマスの夜、兵隊たちは疲弊し、靴もなく、布で足を覆った兵隊たちもいたそうで、凍っている川を渡るのは至難の業でたどりつけたのはジョージワシントンが率いる部隊だけになります。(ほかにも別のルートでデラウェア川を渡るはずだった部隊がありましたが、失敗、渡るのを断念しています)
日本で例えると
大晦日に最後の力を振り絞って戦うと決め、凍えるような寒さの中、一般市民の人達が主な兵となった部隊が世界でトップクラスのプロの戦闘集団に奇襲攻撃をかけたと考えるとわかりやすいでしょうか?
彼らがあげた圧勝が戦機を翻し、伝令を受けた他の部隊達も勇気を取り戻し。
その後アメリカがイギリスから独立した歴史の中でかなり重要な部分なのです。
このワシントンクロッシングへ行き、アメリカという国は本当に色んな奇跡を経て国になったのだな。凄いなとあらためて感動しました。
この国で自由に生きれること、有難いなと再確認した次第です。